粋とKAWAII交差するあの街で

きらきらの瞬間ずっと覚えておくための備忘録

【アナザー・カントリー】この世の春とは今のこと

くっそ暑いですけどね。

違うんですよ。気持ち的な面でね?仕事仕事遠征、仕事仕事遠征、という冗談みたいなチート期間を経て、すっかり抜け殻になりましたおさしみちゃんです。

今回はねぇ、和田くんの舞台のお話をしようかと思います。初外部舞台で、しかも初主演!あ、文字デカくしとく。初主演舞台!『アナザー・カントリー』のお知らせがあったのは4月の8日。5月にグローブ座での初単独公演を経て、6月下旬にスタートしました。だからもう春から浮かれっぱなし。ずっとふわふわしてた。

和田くんにとって初めて尽くしのお仕事!初外部舞台・初主演舞台・初ストレートプレイのトリプルコンボ! これは体にムチ打ってでも行かねば…!と思って 毎日仕事頑張りましたよ社会人。まじで限界遠征は卒業しようと思ってたんですけどね…(遠い目) 翌日とかゼェハァ言いながら働いてたわ。でも観劇するとHPモリモリ回復するから 和田くんてもはや麻薬じゃん…の気持ちで3週間を過ごしました。無事に東京大阪福岡の全23公演を駆け抜けられてよかった!夏のいい思い出。わたしも時間の許す限り会場に足を運ぶことが出来たので悔いはないよ!!

 

『アナザー・カントリー』は1930年代イギリスの名門パブリックスクールを舞台に 寮生活で繰り広げられる少年たちの物語。ある日、寮内でおきた自殺事件をきっかけに 物語は進んでいきます。寮生たちが様々な思いを巡らせ 自分自身の在り方や未来を思い、葛藤していく姿が濃密な会話劇で描かれていて すごく興味深い作品でした。

舞台『アナザー・カントリー』公式HP https://another-country.com/

…………とかなんとか 分かったようなこと言ってるけど、内容めっっっっちゃ難しくて!予習のために映画*1を観たんだけど 資本主義とか共産主義とか、レーニンだとか、リベラルだとか。勉強を蔑ろにしていたせいで ハテナしか浮かばない。飛び交う単語の意味が分からない。ストーリー云々の前に言葉の意味を調べることから始めました。あと登場人物の名前がカタカナだらけで覚えるの必死。太郎とかタケシじゃだめなん? 何だかんだ6回は観た。で、いざ初日を迎えたわけなんですけど、もうね、頭パンクした。あまりの情報量に呆然としながら会場を後にした記憶。和田くんは突然金髪になってるし、畳み掛けるような会話劇に圧倒され、アイドル和田優希さんの口からは絶対に聞けないような際どいセリフにしどろもどろして、高次元すぎるジョークや皮肉に理解が追いつかず…。あの、もう降参です…。和田くんは金髪だしさ(?) けど、だからこそ、分からないなりに色々考えながら観劇するのが 回を追うごとに楽しくなっていきました。あと何より、初ストレートプレイと思えないくらい自然な和田くんのお芝居に驚きが止まらなかった!そこにいるのは確かにベネットなのに、和田くんの片鱗も見え隠れして 役と一体になる様子に惹き込まれました。記憶が新しいうちに感想とか考えてたことをぶわあっと書き残しておこうと思います。

 

はじまり

鐘の音が鳴り、ステージに光が灯ると真っ黒なステージに真っ黒なセットが浮かび上がります。あるのは長方形のステージに額縁のような吊り物、大人が1人通れるくらいの門と立方体の箱がいくつか。まずね、このシンプルで無機質なセットに驚きました。ジャニヲタの皆さんなら分かると思うんですけど、普段はド派手な装置やカラフルで華やかな装飾のステージを見ることが多いじゃないですか。ジャニアイとかまじ祭り騒ぎ。この誤魔化しが効かないセットの中で お芝居だけを武器に座長として舞台に立つのかと思うと こちらサイドがびびってしまうほど。でもそんな心配はすぐに消え去りました。

和田ベネット*2と大河ジャッド*3が長方形のステージの端に棒を刺すと この舞台を象徴するイギリスの愛国歌「I vow to thee,my contry*4」が流れます。組曲『惑星』ジュピターの旋律。多分みんな知ってる。聞けば分かる。音楽に乗せて歩き出し、学生役のキャストが一同に登場するんだけど、ここの歩き方を見るだけでキャラクターの個性を手に取るように分かるのが面白い。例えば、学年1位の秀才でありながら 規則スレスレのところで自由奔放に振る舞う和田ベネットは、制服を気崩し、片手をポケットに突っ込んで少しダルそうに歩いていたり。大河ジャッドは規律を重んじる共産主義に傾倒した学生で、両手でしっかり棒を掴んで規則的に折り目正しく歩く。言葉を発しないこのシーンからも読み取れることが沢山ありました。

 

マーティノの事件

物語はパブリックスクールで行われた戦死者追悼式の直後から始まります。追悼式にも関わらず、「制服検査日だったわけじゃない」とだらしない服装で出席した和田ベネットや、階級のために死んで行った人々のことを馬鹿げていると笑う大河ジャッドは 保守的な思考を持つ同級生デヴェニッシュに注意されてしまいます。ここで初めて舞台の上で台詞を言う和田くんを見れるんだけど、いつもより意識して低めに出しているであろう声色でも、滑舌も良く、はっきり聞きやすくて、しかもめちゃくちゃナチュラル!棒読み感は全然ないし 嫌な芝居感もない。長文の台詞も自身の言葉として話しているのかと思うくらい自然。映画版のベネットはちょっと神経質そうで いけ好かんな〜と思っていたけど、和田くんの演じるベネットはコミカルで明るい印象。しかも、そこに和田くん持ち前の可愛らしさがプラスされて、あっという間に和田ベネットの虜。ちょろい。

話を戻します。追悼式の最中、マーティノ(舞台には登場しない) は、とある出来事が原因で自殺してしまいます。前日、写真部の暗室でロビンズ(こちらも舞台には登場しない) と一緒にいるところを教師に見つかってしまったからです。主にキリスト教が信仰されており、同性愛が禁忌とされた時代です。今より偏見や差別の目が厳しい。密会がバレたことを苦にマーティノは時計台で首を吊って自ら命を断ちました。ガチガチの階級社会であった1930年代のイギリス。その中でも良家の子息だけが集まるエリート校ゆえ、この件に関する悪い噂が広まってしまうと、学内だけでなくイングランド全土にまで及ぶ問題となってしまいます。そのため、この一件を“特殊なもの”として 穏便に収束させるべく、選挙で選ばれた特権的22人『トゥエンティトゥー』のメンバーや監督生たちが動きます。要はエリート生徒会てきなことですかね。ここのメンバーになれば、それだけでこの学校にはいった価値があると言われるほどの存在です。

 

ハーコートに恋した和田ベネット

規則に従わず風紀を乱しがちな和田ベネットですが、自分の将来については堅実に考えていました。人生をハシゴに喩えて「プレップスクールからパブリックスクール、1回生から6回生、二等書記官補、事務次官補から事務次官、パリの英国大使、サーの称号、聖マイケル・聖ジョージ勲章にロイヤルビクトリア勲章、エルサレムの称号、善意の騎士勲章に芝の女王最高勲章だ!」と自身の思い描く明るい未来を語ります。ここのセリフ長いし早いのに観劇した中では一度も噛んでいなくて シンプルに凄い。というか、このシーンね、全体的に可愛いんだ…………(ガッツポーズ) 母親の再婚式*5のため外泊許可をもらっていた和田ベネットですが、式のあと内緒でハーコートとデートを楽しみます。そしてベロベロに酔っ払った状態で深夜に帰寮。「俺は今恋をしている〜♪」って歌い出したかと思えば(めちゃくちゃ美声) カンガルーの真似っ子したり(しぬほどドスドス鳴るステージ) 「俺の好きな人、知りたくない?」と大河ジャッドにだる絡m…じゃなくて 恋バナを持ちかけたり。恋をした和田ベネットの言う「この世の春とは今のこと」がアナカンの中で1番のお気に入り。もうね、何?それはそれは可愛い酔っ払いが完成してるの。和田くんがお酒飲んだら こうなって欲しいの具現化すぎた。おたくの願望?まだ舞台が暗転してるうちから 千鳥足でステージ袖に立っていて(かわいい) あ、ここも面白くて、黒いセットの中には門みたいな形のものがあって、それが部屋の出入口の役割を果たしているのね。で、キャストたちは袖から直接ステージに上がるんじゃなく、みんなその門を一々くぐって入室の動作を踏むのがお決まりになっていて。でも、外泊許可をもらったにも関わらず深夜にゴキゲンで帰ってきた和田ベネットは、雨樋から寮に侵入してきたので 門をくぐらず袖から直接出てきたの。限られたセットと空間でも細かい設定が忠実に再現されていて面白いなあって。ちなみに最後は「グンナイ♪」ってスキップしながら門を通って寝室に戻っていきます。はあ、ほんとにここの和田くん可愛すぎて頭おかしくなるかと思った。言い値で構わないので映像ください(?)

 

カニンガムおじさんとのお茶会

おぢの言葉を借りるなら「マルクスと同じくらいぐったりする」のは、間違いなくこのお茶会のシーン。ここが1番難解。なんなら今もよく分かってない(おいおい) カニンガムはリベラル(自由主義)な文学者です。キリスト教社会や共産主義に反対し、心理学におけるフロイトの考え方(人間は全てを“無意識”にコントロールされている) にも意を呈しています。また人を殺すのは間違いだという信念のもと、戦争の徴兵を拒否したことで、ある種有名人となっている人物です。パブリックスクールでは戦死者追悼式や軍事訓練を行うなど 戦争に対して積極的な姿勢を見せているのですが、校長先生の計らいで平和主義者のカニンガムによる講演会が開かれることになりました。まさに招かれざる客といった感じですかね。和田ベネットも舞台の冒頭では カニンガムを小馬鹿にするような態度を取っていましたが、公演後のお茶会ではカニンガムに取り入ろうとする姿が見受けられました。(大河ジャッドがカニンガムのものまねをするところで「そんなこと言うわけないだろ😕😐😑」って呆れ顔する和田ベネットがめっちゃ可愛い) この心境の変化は、ハーコートへの気持ちが関係していると思います。はじめは遊び半分だと思っていたのに、実際にデートをして恋心が本物だと気付く。しかしキリスト教社会において同性愛は禁じられています。自分の気持ちを正当化出来ないんです。そんな悩みを抱えていたところに、キリスト教社会を否定し、道徳的直感を重要視するカニンガムの登場。自由を愛する和田ベネットにとって惹かれない理由がありません。

やー、それにしてもこのお茶会ね、ほんとにカオス。和田くんお顔可愛い〜♡ってメロってる暇は1ミリもない。持ち合わせてる全ての集中力を注がないと秒で置いていかれる。お茶会には和田ベネット、大河ジャッドを含む4人の寮生が参加するんだけど、熱のこもるカニンガムの話に比例して、どんどん加速し音量の上がる電子音。それと対比するように カニンガムと意志の異なる者から抜けていく寮生。(和田ベネットは最後のひとりまで残ります) 寮生たちは話から離脱すると長方形のステージの周りを それぞれ異なる方向からぐるぐる歩き始めます。しかも真顔。この様子がめちゃくちゃカオス。勝手にパリコレタイムと呼んで楽しんでた(集中してください) 思春期の混乱や混沌とした情勢、思考を表現しているのかなあと推測してみるけど、本当のところを掴みきれないまま千秋楽を迎えてしまいました。気になるのは、カニンガムのターンで流れるアラームのような規則的な電子音。それと、定規で線を引いたような直線的な歩き方です。角を曲がる時、ピシッと90度直角に折れるの。何かに操られているみたいな。様々な主義や思想に反対し、自らの直感に重きを置くカニンガム。しかし、結局はフロイトの言うように“無意識”には抗えず、全ての行動を“コントロールされている”ということを暗に示しているんでしょうか。考察好きの矢花さん、答え聞かせて?(←矢花のこと友達と思ってる) あ、おぢの言葉でぐっさぐさに刺さったのは『他人のために何かをするという時は決まって自分のためなんだ』という台詞。人の役に立ちたいと思って選んだ今の仕事も結局は自分のためなのか〜とか思うと急に虚しくなりました。

 

来学期の監督生

この話をするのに欠かせない存在はメンジースです(ちいかわお兄さん)(和田くんにゆーきゃんの専ニク付けた人) メンジースは現・監督生で来学期は寮長になりたいと画策する寮生です。人生をハシゴにたとえる和田ベネットも メンジースの下で監督生となり、ゆくゆくは特権階級であるトゥエンティトゥーのメンバーや寮長になることを望んでいます。その一方で、だらしない和田ベネットを目の敵にする現・監督生の軍国主義者ファウラーの存在もあります。メンジースが寮長になるには下に2名の監督生を付ける必要があります。そこで当初の予定では、和田ベネットとデヴェニッシュを指名するつもりでいました。しかし、マーティノの件を快く思っていないデヴェニッシュの父は、息子に学校をやめるよう指示します。そうなると、メンジースは和田ベネットのほかにもう1人、別の監督生を新たに選任しなければなりません。そこで白羽の矢が立ったのが大河ジャッドです。大河ジャッドは共産主義者で、階級や抑圧のシステムを嫌い、平等な社会を望んでいます。この誘いをもちろん拒否しました。f:id:ppp2077:20220716233041j:imageメンジースが来学期の体制に頭を悩ませている頃、下級生へのご褒美として残してあったサンドイッチを勝手に食べたり、「あんたとならやってもいい」とメンジースに持ちかけたり、和田ベネットは相変わらず奔放な振る舞いを見せます。メンジースは今がどれだけ危機的状況にあるか、この数週間が勝負だからスキャンダルになるようなこと(要するに誰かと関係を持つこと)は控えるよう忠告します。また、大河ジャッドの1番の親友である和田ベネットに、大河ジャッドの協力を得られるよう説得を頼みます。一旦は無理だと断りますが、メンジースに懐柔され説得を試みることにしました。

「俺たちは大人のように振る舞わなければならない。芝居をしろってことね、役は決まっているけど台本のない芝居。」の台詞をきっかけに場面が切り替わります。はあ、大人になんかならないで…(急な私欲)(時計を止めて)(?) ここでバトルを思わせるロックテイストな音楽が鳴り響き、学生役のキャストが全員ステージに上がります。回転する台の上には和田ベネットと大河ジャッドが乗っているんだけど、立っているだけで画になる。しかも赤色の照明で照らされているのが かっこよくて!あと50回転くらいしてほしい。ずっと見てられる。

 

和田ベネットの作戦

軍事訓練の前夜、大河ジャッドは「監督生になることを考えている」と和田ベネットに打ち明けます。ただ、監督生を受けるということは、平等を掲げる共産主義的考えとは矛盾が生じるため 今一歩踏み込めません。そこで和田ベネットは とある提案をします。「もし俺が明日の軍事訓練でこの寮をわざと負けさせたら…?」そんなことをしても立場が危うくなるだけだからと大河ジャッドは止めます。ここで不敵な笑みを浮かべる和田ベネット。「い」のおくちがかわいいです(不適切な感想メーカー)

実際に軍事訓練の本番で汚い帯紐、シワの付いたズボン、磨き残しが目立つバッジを付けて参加します。それは減点の対象となり、思惑通り寮は3年間維持してきた優勝を逃しました。ここで和田ベネットを目の敵にしているファウラーは猛抗議し、むち打ち6回の罰を申請します。これは生徒会が与えられる最も侮辱的で、最も重い罰です。そんな場面でも「磨いてピカピカに出来るのは爪くらいでね」等と悪気のない態度で のらりくらりと言い訳を重ねます。爪ほんとにピカピカなんですよ。感動。このときの和田ベネットはめちゃくちゃ腹立つ奴ですが、お顔がいいのでおさしみ的には許せます。でもファウラーは許しません。

しかし、和田ベネットには作戦がありました。「もしファウラーのムチが俺に1発でも当たったら、まっすぐ寮監の元へ行って この3年間で俺と関係を持った男の名前を1人残らず話すつもりだ。名前を出すのはトップの人間から順番だ」と脅すのです。同性愛は禁忌であったと先述していますが、男子寮のなかでは遊び半分でこういった関係を持つことはむしろ日常でした。そんなことはしないよな?と寮長やトゥエンティトゥーのメンバーは詰めますが、「これはゲームだ」と言って、むち打ちを回避します。悪い顔して遊び人のごとく自分と関係をもった人間を切り捨てていく姿に 全く何の関係もないおさしみも勝手に捨てられた気分になってました(拾われてすらない) 和田ベネットはここでトップの人間をすべて敵にまわしてしまいました。

軍事訓練のあと、「最大多数の最大幸福のため監督生を引き受ける」と大河ジャッドは明言します。そこで和田ベネットに「しかしお前は馬鹿だ。もっと外交上手にならないと外務省で出世できないぞ」と諭しますが、ファウラーを倒すことに躍起になっているので「そんなことはどうでもいい」とまともに耳を貸しません。ともあれ、最強の切り札を握る和田ベネットは安泰な学生生活を手に入れたように思われました。

 

ここではないどこかへ

しかし、平穏は一瞬で崩れます。ハーコートへ宛てた手紙のメモがファウラーに見つかってしまったのです。これが物的証拠となり、和田ベネットは同性愛者であることを理由にむち打ちの罰に処されることになりました。

舞台は闇を連想させるほど深くて紅い夕焼けに包まれ、優しいクラリネットの音色で再び愛国歌「I vow to thee,my contry」が響きます。ここからが和田くんにとって、このアナザー・カントリーという作品にとって1番の魅せ場です。「どうして例の脅しを使わなかったんだ?」という大河ジャッドの問に対して「脅しを使ったらハーコートの名前も出ちゃうだろ。そうしたらハーコートまで処分だ。そんなことは出来ない。」と答えます。和田ベネットは自らの未来を犠牲にしてまで、愛する人を守る決断をしました。そして「俺はもう嘘を演じるのうんざりだ。この先、俺が女を愛することは絶対にない。」と断言します。密会が見つかったことを苦に命を絶ったと思われていたマーティノですが、実際のところは違いました。本気で恋心を抱いていたロビンズに愛していると告げると「気持ち悪い」と拒絶されてしまったことが原因でした。このあとの和田ベネットと大河ジャッドのやり取りからは愛や友情、差別について考えさせられる発言がいくつもありました。

 

「マーティノは10歳の頃からそれを知っていた。俺に話してくれた。でも俺も自分も同じだとは知らなかったし、確信がなかった。」

→自分が同性愛者だと知らないときでも、否定せずに話を聞いていたからマーティノは今でも和田ベネットと良好な関係を築けていたのではないかと推測します。特段、一緒にいるわけでもないけど、自ら命を絶った息子の友人代表として両親が会いたいと言うくらいです。そういう差別をしない人間性が、所謂はみ出しも者の大河ジャッドからも信頼される理由だったのかなと思います。

 

「平等、友愛、お前の口にしている言葉とは裏腹に、愛の在り方で1級品と2級品があると思っている。」

→これこそがこの物語の本質だとおさしみは思っています。今でこそジェンダーについて知られるようになりましたが…なんて偉そうな感想を述べたかったんですけど、アナカンを観るまでLGBTについて深く考えたことはありませんでした。最近ではLGBTQ+と称されるようですね。ひとつ学びました。この無関心が周りの誰かを傷つけていたらと想像すると自分の未熟さが情けなくなったりもしました。多様な生き方がある中でも、純粋な愛のかたちに優劣はないはずです。これが建前だったり、偽善にならないような優しい世界をベネットは望み続けたのだと思うと胸が痛みます。

 

「戦え。誰かがそんな名前でお前を呼んだら、そいつを殴れ。」

→これは同性愛者がどんな汚い呼ばれ方をしているか知っているか?と和田ベネットが嘆いた時の大河ジャッドの言葉です。レーニンに傾倒し、抑圧や暴力には反対しているジャッドですが、友人のためなら主義を曲げられるところは人間味があって好感が持てました。

 

大河ジャッドはそっと和田ベネットの隣に座って寄り添います。無理に言葉を交わさなくても そうしているだけで心が通じあっているような。2人の友情が固いものであると証明するシーンでした。

ここにメンジースがデヴェニッシュを連れて入ってきます。メモの1件を知った直後、メンジースはすぐにデヴェニッシュをトゥエンティトゥーのメンバーに推薦する方向に舵を切りました。トゥエンティトゥーになれるのであれば、デヴェニッシュは転校せずに済みます。メンジースは自分の利益のために同性愛者の和田ベネットと、共産主義者の大河ジャッドを切り捨てたのです。「俺には選択肢がなかった」と冷酷な笑みで言い放つメンジースに対して、怒りを露わにする和田くんの演技は胸が締め付けられるような苦しさがありました。目を見開いてメンジースや客席を睨みます。思わず目を逸らしてしまうほどの迫力でした。この後、和田ベネットは閉ざされてしまった未来を自暴自棄になりながら語りだします。その狂った笑い方に鳥肌がたつほどでした。荒々しい怒鳴り声に、やり場のない怒り。未だかつてあんなに和田くんを怖いと思ったことはありません。メンジースはきっとこの後の将来も上手いことやって行けるんだと思います。それこそハシゴをスムーズに登るんじゃないでしょうか。メンジースはベネットと同じように何人も敵に回しますが、切り捨てる相手がマイノリティーであるため 民主的には大多数の支持を得ることができるのかと思うとなんとも言えない気持ちになります。今も世界の色々なところで大なり小なり似たようなことが起きてるのかもしれないし、自分もメンジースのように振舞っていることがあるのでは?と考えるとぞっとしたりもします。

天井にあった額縁のような黒い吊り物は 最後のシーンで和田ベネットと大河ジャッド、2人の頭上にゆっくりと降りてきます。この額縁は閉塞的で規律によって固められた息苦しい学校生活や国の在り方を表しているように思えました。それが2人の傍に降りてくるということは、出口が近付いてきた、裏を返せばアナザー・カントリー、即ち“ここではないどこか”への入り口がすぐそこまで来ていることを示めしているように感じました。そして深い夕焼けの中で2人を照らす優しい光。資本論を手にした和田ベネットが「地上の天国?」と大河ジャッドに問いかけます。夢のような思想が広がる世界が本当にあるならばどんなに良いだろう、と共産主義に傾き始める瞬間です。それに対して大河ジャッドが「地上の地上。本物の地上だ。」と返したところで物語は幕を下ろします。

ここからは今回の舞台で描かれなかった部分ですが、自分が身を置いている環境に絶望したベネットは アナザー・カントリー(ここではないどこか)へ行くことを渇望し、後に国を売るスパイとなります。*6 その結果がどうあれ、行き着く先がたとえ不道徳なものであったとしても、今の2人の望みを叶えるには十分な未来の描き方だったように思えました。和田ベネットが、大河ジャッドが、みんなが幸せになれる道を考えずには居られませんでした。

 

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和田くんは大千秋楽のカーテンコールで「僕はお芝居が嫌いでした」とお話してくれました。ドラマや映画に出演したことはあるけど、画面に映る自分は張り付いたような表情をしていて納得がいかなかったと。今回のお稽古もびくびくしながらやっていたそうです。ですが、舞台の初日には今まで見たことない和田くんが居ました。自信に溢れていて、演技を楽しんでいる様子も窺えて、より良い表現になるよう工夫を凝らしている姿は間違いなく舞台の上で輝いていました。特に、ラストのシーンでは日によって、回によって、台詞の言い回しやニュアンスを変えていて、ほんの少しの違いで受け取る印象も変わってくるのが面白かったです。カーテンコールで客席を見渡してほっとした表情をみるとこちらまで嬉しくなりましたし、何度でも拍手を送って賛辞のシャワーを浴びせたくなりました。福岡の会場では、最後に捌けるところで一旦引き返して会場を感慨深そうに見渡していた姿が印象的でした。和田くんてこういうときほんとにすぐ捌けるんですよ。ジャニアイの大階段でもほぼ振り向かずにてっぺんまで登りきっちゃうし、記念すべき初単独公演でもスっと袖に戻っちゃう。そんなドライなところも好きですけどね。初座長公演、よっぽど思い入れが強いんだろうなあと思うと、あのときの和田くんの表情は一生忘れられない宝物だなと思います。

いつでも悔いなく全力で和田ベネットを演じられたので“成長”ではなく、“変化”を楽しんで欲しいと言うところもプロ意識が強くて素敵だなあと益々好きになりました。間違いなく一皮むけて進化した和田優希さんをリアルタイムで感じることが出来て本当に幸せでした。あ、変化も楽しんだ上でね。

とっても難しくて重たい内容の作品で、自分には敷居が高すぎるんじゃないかと初めはびびりまくってたけど、和田くんから「観た人の数だけ答えのある作品にしたい」と言葉があったおかげで、楽しんで観劇することが出来ました。和田くん、夢のような時間をありがとう!

 

和田くんと、ベネットの未来が明るいものであるようにと心から願っています。

 

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おまけ

 

映画と舞台を繰り返し観ているうちに おさしみの中で『大河ジャッド、実は和田ベネットのこと恋愛的に好きなんじゃないか説』が浮上しました。パンフレットにも書いてないし、本人たちも言及していない。まして直接的な表現もないので 解釈違いも良いとこなんですけど…。一度気になったら確かめずにはいられなくて。

ジャッドは10歳の頃に同性愛に気付いたマーティノのことは否定するのに、自分は11歳のときに異性愛者だと自覚したと発言します。また、自分の性的思考はそのように確信しているのに、同性愛を語るベネットに対しては「そんなはずない」と考えを改め直すように言います。時代も時代ですし、宗教的思想も含めて、ジャッドにはそもそもそういう概念がなかったんだと思います。あっとしても冗談だと思っている。ベネットのように素直に受け入れられるほうが稀だったのではないでしょうか。だからこそ、ベネットに対する感情は友情であると決めつけているとしたら…?

女の子にチャレンジした和田ベネットの話は嬉々として聞くのに、ハーコートの話をすると仏頂面になる大河ジャッド。淡々と話すクールなキャラクターですが、大河くんの表情の作り方が絶妙で色々と深読みしたくなってしまいます。まっすぐ捉えれば同性愛に反対だとか、興味無いとか、そんな感じだと思うけど、これがヤキモチだったとしたら…?好きな人の恋バナなんて聞きたくないでしょうし、和田ベネットがスパンギンとは関係を持っていないと知った時の大河ジャッドの安心しきった顔と言ったら…。

女の子と関係は持つのに、1度も誰かを本気で愛したことがないという大河ジャッド。まだ自分の恋愛感情がどういうものか本当のところで自覚できてないとしたら…?仮説はあながちゼロではない…………?なーんて。

大河くんのお誕生日公演のとき、いい機会だし…(?)と思ってその視点で見たことがありました。でもね、とてもじゃないけどしんどくて。ハーコートのことが好きで、人生を大きく棒に振った和田ベネットの姿をみて大河ジャッドはどんな気持ちになるのか…。ジャッド→ベネット→ハーコートの一方通行は全部が辛くて、見てらんないなあって。なのでその一度きりしか試せませんでした。し、今の今まで誰にもこの話をしていませんでした。やっと言えてスッキリ。邪道かも知れませんが、実はそんな楽しみ方もしていました。

いつか真相を聞いてみたいですね。

 

 

 

 

 

 

*1:アナザー・カントリー:原作は1981年に上演された舞台。1984年にドラマ映画として公開された。

*2:主人公 ガイ・ベネット役:和田優希

*3:トミー・ジャッド役:鈴木大河

*4:I vow to thee,my contry(我は汝に誓う、我が祖国よ):イギリスの愛国歌、イングランド国教会の聖歌として愛されてきた楽曲。歌詞の意味は全く違うけど平原綾香さんがカバーしていた曲でもあるので 聞き馴染みがあります。

*5:再婚式:ベネットの実父はすでに亡くなっており、母親は新しくアーサーという大佐と再婚することになります。それを快く思っていない(マザコン)ベネットに向けて 大河ジャッドが放ったジョーク

*6:この物語には実際にモデルとなった人物が居ます